アラバには、さまざまな顔があります。北には緑溢れる谷、南にはブドウ園。 穏やかな貯水湖と猛々しい滝。整然とした県都のビトリア- ガステイスとひっそり佇む小村。

そんなコントラストに満ちた土地アラバ県は、エウスカディの他の2 つの県と、まったく異なった個性を備えています。大自然の魅力と史跡の魅力を併わせ持つこの地を訪れる理由は、その個性にあるといえるでしょう。

エウスカディの中でも、アラバは一風変わった県です。バスク自治州を構成する3 つの県(ビスカイア、ギプスコア、アラバ)の中で、アラバは 他の2 つの県に比べ、非常に違った特色を持っています。ビスカイアにもギプスコアにもない多様性溢れる景観、孤立した北部の2 県に対し交通の要所だった街の特徴が如実に反映された史跡の数々。発展した農業、人口構成や気候にまで見られる個性が、アラバ県の魅力をさらに際立たせています。

人口面では、人口分布が比較的均一な他の県に比べ、アラバでは、県人口の約4 分の3 以上が県都のビトリア- ガステイスに集中しています。

リョディオやアムリオといった産業の活発な数カ所を除きアラバ県の大部分は、住民数のわずかな、ぽつんぽつんと散在する小さな農村から成っています。ビスカイア県やギプスコア県で起こった産業革命の波はアラバには届かず、20 世紀初頭、発展の波が大分緩和されてから初めて到着する結果となりました。そのためアラバの産業はごくわずかで、保護のゆき届いた大自然の空間が広がっています。バルデレホ自然公園、エンツィアとイスキ、ラグアルディアの湖の数々、北部の他県にまたがるゴルベイア、ウルキヨラ、アイスコリの3 つの自然公園などなど。

内陸のアラバ県のバラエティに富んだ景観は、東から西へ通る3 つの山岳環状線から生まれています。

この中で最北端にある山岳環状線は、アラバとギプスコアとビスカイアの谷の境にありますが、景観的には同様で、松やブナの木と小さな集落、家畜の牛が覗く山々の間に、緑溢れる谷があります。

この北部の山脈と2 番目の山脈との間、県の真中辺りに、アラバ平原として知られる広大な平原があります。

ここはちょうど自然の地理的変り目に当たるため、南の平原の色合いが見られます。さらに南のカンタブリア山脈は、アラバ県のリオハ地方の沃野に入る前の、最後の自然の障害物となっています。ここからカスティーリャのメセタの景観と見まちがうようなエブロ渓谷までは、延々とブドウ園が広がっています。

山岳学的生物学的な多様性は、気候的多様性と密接なつながりがあります。アラバの北部地帯では気候は海洋性、つまり湿潤で温暖ですが、南部では乾燥して寒暖の差の激しい内陸性気候です。冬の寒さの厳しいアラバ平原は、気候的にも変り目の地にあります。

交通の要所
山岳地帯からも南の渓谷地帯からも発見された先史時代の豊富な遺跡の数々が、ヒトの出現から幾ばくもない頃から、この地が交通の要所であったことを明確に裏付けています。たとえば、チャボラ・デ・ラ・エチセラ(アラバ県リオハ地方、エルビリャール)やアイスコメンディ(アラバ平原、エギラス)の巨石墳から、鉄器時代すでに村として存在していたラオヤなどがあります。

山岳地帯のギプスコア県やビスカイア県に比べアクセスが容易なアラバ県は、その歴史を通して常に、さまざまな民族や文化の影響を受けやすい交通の要所でした。古代ローマ人は、大西洋岸の集落には留まらずアラバ平原に定着し、ローマ街道の中でもっとも重要性の高い街道の一つ、アストルガ- ボルド- 間の街道を往来しました。イルーニャの城壁町は、古代ローマ時代の主要な遺跡の一つであり、エブロ流域の農耕の発展に大きな役割を果たしました。

スペインのキリスト教化とラテン化は、アラバから始まりました。イスラム教徒は、アラバ県の南部まで侵入し、アラバはキリスト教文化とイスラム文化の要(かなめ)となりました。

アラバ県リオハ地方の数々要塞の町は、ナバラ国王と後にはカスティーリャ国王の、この地に剛健な要塞を建設し軍事防衛に努めようとした試みが、ありありと見られます。

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中世の教会を中心に広がる

アラバには、中世の教会を中心に広がる、時には農地に囲まれた、あるいは 山脈に保護された、アラバ県リオハのサマニエゴのような豊かで生き生きとした小さな村があります。この気安く親しみやすい土地は、祝杯値します。乾杯の酒はもちろん、アラバ県産出のリオハワインに限ります。

アラバ平原は、歴史からみて、自然にできあがった、往来の賑やかな街道でした。中世には、二つのサンティアゴ巡礼の道のうちの一つのルートとして巡礼者が往来し、アラバの町々には、ルネッサンス様式やバロック様式の館と同じように、ゴシック様式のものも増加しました。また中世には、貴族階級の権力が強くなる一方、頻繁化する山賊の横行に対応するため、町同士での同盟も生まれました。アラバの地も、エウスカディを悩ました血族同士の闘いから逃れられたわけではありません。ケハナのアヤラ家の塔の館や、ビトリア- ガステイスに近いメンドーサにある塔の館は、今日でも残るこの時代の優れた建造物です。

クァドリーリャと呼ばれる行政単位(歴史的地方機関)を持つアラバ県は、以下の6 つの自然区域に分けられます。アラバ平原、アヤラ渓谷、ゴルベイア- アラマイオ、クアルタンゴ- バルデゴビア、アラバ県のリオハ地方、アラバ山。

平原から貯水湖へ

北にウルキーリャとエルゲアの山々、南にエンツィア山とイトゥリエタ山で区切られたアラバ平原。ここは、アイスコリの山塊にあるサンアドリアンのトンネルをくぐって、ギプスコアからサンティアゴへ向かう巡礼者で賑わいました。

使徒ヤコブの巡礼の道に代わり、今日ではイルンとマドリッドを結ぶN-1 が走っています。この国道は、県都ビトリア- ガステイスを中心に、アラバ県を連絡する道路であり、ビトリア- ガステイス郊外には、アラバの守護聖人ヌエストラ・セニョーラ・デ・エスティバリスの教会堂があります。

アラバ平原の丘の上に立つこの12 世紀建造の教会は、バスク・ロマネスクの代表的建物の一つです。ビトリア- ガステイスの反対側には、メンドーサとマルティオダの塔のシルエットがそびえています。これらの塔は、中世に権力争いで対立していた2つの一族にゆかりの要塞でした。

アラバ平原の東部に、サルバティエラという街があります。中世の街道沿いにあった旧市街と、数々の豪邸が残されています。さらに、古代にまでさかのぼる巨石の遺跡、エギラスのアイスコメンディの巨石墳と、アリサラのソルギネチェの巨石墳が、隣り合うように立っています。

サルバティエラの北部、サルドゥオンドも趣のある町です。町の教区教会のサン・サトゥルニーノ・デ・トローサ教会には、使徒ヤコブにまつわるエピソードがいくつも残っています。「マルキートス」という人物が主役を務めるこの村のカーニバルは、エウスカディでも代表的なものの一つです。

バスク地方の珍しい風景の一つ。Salinas de añana, サリーナス・デ・アニャーナ- アニャーナ・ゲサルツァの塩の製造施設。Salinas de añana. バスク旅行、スペイン語通訳翻訳
エウスカディの珍しい風景の一つ。サリーナス・デ・アニャーナ- アニャーナ・ゲサルツァの塩の製造施設。