石の時代からチタンの時代へ

10万年前

最初のバスク人は、遠くの地から来たという多くの学説は、今では研究によって退けられています。バスク人の祖先は、10万年前からここに存在し、おそらく7千年前には、すでに現在のバスク語に似た言語を話していたのですから、大したものです。石器時代のバスク人は、メンヒル(立石)、巨石墳、環状列石、またビスカイアのサンティマミーニェやベンタラペラ洞窟、ギプスコアのエカイン、アルチェリ洞窟に壁画を残しています。鉄の時代までには、ラオヤのような集落がすでに形成されており、現在アラバ県側リオハにあるその遺跡を見ることができます。

地方特権の承認

特権は、時とともに合法化された古い社会慣習です。それまでナバラ王国と結びついていたバスク領は、カスティーリャ王国と合併されるまで(ギプスコアとアラバは1200年、ビスカイアは1379年)、フンタス・ヘネラレスによって、特権と体制を維持していました。実際、カスティーリャの代々の王は、それらの特権を尊重することを誓約しなくてはならず、また議会はパセ・フォラル( 地方特権) と呼ばれる王命令に対する拒否権を持っていました。しかし一方で、議会による協定は、君主によって承認されなければなりませんでした。 この特殊な自治形態は、19 世紀の終わりまで続けられます。

海外貿易

船乗りの土地であるエウスカディは、18 世紀終わりまでアメリカとの海上貿易で、非常に重要な役割を果たします。50 の大型船舶を備えるまでに至り、ベネズエラとの独占権をもつカラカス・ギプスコア会社はドノスティア- サンセバスチャンとパサイアに繁栄をもたらしました。しかしながら、この会社がマドリッドへ移転してしまったことと、その後のビスカイアの工業発展により、次の世紀にビルバオが、より重要な港になったのです。

まさに改革そのもの

19 世紀後半の工業化は、エウスカディに大きな転機をもたらしました。初めての高炉の導入、つまりボルエタのサンタアナの高炉(1849 年)から、産業改革と経済発展は、ビルバオとその周辺の景観、またギプスコアの多くの地域を変えることとなりました。ビスカイアは、製鉄と造船業を得意とし、ギプスコアは製紙と工作機械産業が中心になっていきます。こうして農業の衰退が始まりました。また移住者の到来により、50 年も経たないうちに、ビスカイアの人口は2 倍に増加したのです。

新しいエウスカディ

産業危機の影響を克服し、20 世紀末の数年は、エウスカディでは、技術と社会発展、また産業基盤や設備刷新の時期となりました。チタンでできたビルバオのグッゲンハイム美術館は、21 世紀の新しいエウスカディの最良のイメージと言えるでしょう。