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「頭に緑を、心に火を」。シンガーソングライター、ベニート・レルチュンディは、「ビスカイア・マイテ」というラブソングの中で、ビスカイアをこう歌いました。ウルダイバイ自然保護区や、ウルキヨラとゴルベイアの自然公園のさわやかな緑溢れる空間。ネルビオン川の左岸をエウスカディ最大の人口集中地区に転換させた工業化のシンボル溶鉱炉の赤い火。
歌に歌われていない3つ目の色は、ビスカイア湾の砂浜や、漁港サンフアン・デ・ガステルガチェ礼拝堂などの幻想的な場所から見える海の青です。ビスカイアは、県都のビルバオにできたグッゲンハイム美術館やバスク人の象徴の町ゲルニカ-ルモの存在で今、もっとも脚光を浴びているところです。
「コントラストの土地」というレッテルが、ぴったりなビスカイア。信じられないことに同じ県内の谷を一つ越えただけで工業地帯から自然公園へ、どっしりとした建物の町から急速に発展する町へと飛び移ることができるのです。
ビスカイアは、そのバラエティ豊かな景色の中でも、誇り高い表現の豊かさを自慢にしています。それは、1893年からゲチョの居住地とポルトゥガレテ工業地区を結んでいるネルビオン川に掛かる吊橋、標高1296メートルの伝説に包まれたアンボト山のシルエット、鮮やかなオマの森の彩色をほどこされた木々、ビルバオのグッゲンハイム美術館の金属性のきらめきに見出すことができます。
ビスカイアは、バスク自治州の中でもっとも人口密度の高い県です。中でも、グランビルバオと呼ばれるビルバオ中心地に人口が集中しています。開発が進んだ地域が他にもあるとはいえ、いまだに昔ながらの田舎の雰囲気を保っているところも少なくありません。
ビスカイアは断片的な地形をもった県です。山々は海までせまり、険しい海岸線は、少数の砂浜と短く水量の多い川の河口で辛うじて和らげられています。
温暖湿潤な海洋性気候によって樹木が豊かに茂る景観が広がっていますが、カシの木、ブナノ木といった原産種の林は、最近では松やユーカリといった収益の高い外来種に面積を奪われてきています。
鉄がもたらしたもの
ビスカイアの肥沃な地は、田園地帯で営まれる蓄農業に理想的ですが、実はそこには鉄という財宝も隠されています。これが、バスク地方にもたらされた産業発展の根拠と象徴なのです。
鉱業と鉄鋼業を基盤とした産業は、ビルバオのネルビオン川の左岸と中心部に集中しています。
産業の発展は、臨海地域であることと交通機関の発達により促進されました。ビルバオ港は、中世の時代からカスティーリャの産物を外国へ輸出する海外への扉だったのです。そして鉄の輸出で促進された商業活動の発展は、ビルバオやビスカイア湾の他の都市の重要性を増加させることになりました。
漁業活動は、全体から見ると重要性は少ないものの、沿岸のいくつかの町の生活にとって切っても切れないものです。
ビスカイアには、先史時代からいつも入植者がありましたが(コルテスビのサンティマミーニェ洞窟には、マグダレニエンセ原人の描いた、50もの動物の壁画が残っています)ローマ化されたのは、その一部のみでした。ビスカイアは、 9世紀の文献に初めてその名前が現れます。その時代のビスカイアは、アストゥリアス王国とナバラ王国の間で絶えず揺れ動いた少数の領地から形作られていました。
その後、ビスカイア伯爵を始めとする貴族の領地となります。1379年には、カスティーリャ王国の領土に吸収され、町形成認可によりプレンツィア、ビルバオ、ポルトゥガレテ、レケイティオなどの町が生まれます。
カスティーリャ王国にありながらも、エウスカディは独自の法律制度を持ち特権とフンタス・ヘネラレスと呼ばれる州議会制度を保持していました。
何世紀にも渡ってカスティーリャ国王は、ビスカイア領主の肩書きを持ちながらも、フエロ・ビエホ(古い特権)に誓いを立てなければなりませんでした。誓いの儀式は、5カ所で行うことが厳格に定められており、「誓いの経路」はビルバオから始まりララベツ、アレチャバレガネ、ゲルニカ- ルモ、ベルメオへと巡るものでした。
ビスカイア Bizkaia

- サンフアン・デ・ガステルガチェ San Juan de Gazteluatxe