観光ビーチとロヨラ、アランサスといった聖地。数々のモニュメントで知られる町と産業都市。緑豊かな自然の中に点在する農家と洗練された文化活動。ギプスコア県は、それぞれの地域が違った特徴をもつ多様な県です。最も面積が小さく、一番多くバスク語が話され、海と山があり、フランスとのムガ(国境)に接したこのバスクの土地は、谷ごとに新しい驚きを見せてくれます。

ビダソア、オイアルツン、ウルメア、オリア、ウロラ、デバ。これらは、アイスコリとアララールの山塊からカンタブリア海岸まで、ギプスコア地域をほぼ平行に流れる6 本の川です。この六つの川は、それぞれが山で隔てられた谷を作っています。そのために各地域は、特有の特徴をもった小宇宙とでも言うべき個性を備えています。

一般的に海岸沿いの伝統的アランツァレ(漁師)町には、昔からその広くて美しいビーチを目当てに、観光客がやってきています。サラウツ、ドノスティア、オンダリビアは、ギプスコアの海に面したレジャー地のなかでも人気があるとことです。

バスク文化の本質を知りたいと願う人は、逆に内陸部に行くべきでしょう。その谷は、常に緑にあふれ、何世紀もの間ほとんど変わらない酪農業を生産単位とする、バセリア(農家)を基本にした活様式が行われています。それらの農家の中には、その土地で昔から変わらず伝えられてきた豊かな観光行事を、地元で楽しんでもらえるよう、民宿としての宿泊設備を備えているところもあります。

ほとんどの地域は、山が多い地形のために何世紀もの間、周囲との行き来が少なく、ほぼ孤立した状態でした。ギプスコアでのローマ化は、イルン(サンタエレナ礼拝堂にあるローマ巨大墓地)、オンダリビア、オイアルツンという西端部だけに見られますが、それも表面的なものでした。

ケルト人の侵入もイスラム人の侵入もなかったギプスコアは、外との接触といえば、中世期の海岸と内陸部を通るサンティアゴの巡礼の道によるものだけで、しかもその聖ヤコブへの道に沿った地域のみに限られていました。13 世紀にカスティーリャに併合されると、歴代のカスティーリャ王は、交通路やナバラ王国との境を監視するためにギプスコアにさまざまな町を築きます。後に成長を続けることになるこれらの町には、この時代の大変貴重な芸術・建築の歴史的遺産が集中することになりました。

中世以降ギプスコア人は、農業、沿岸漁業( 当時鯨漁も含む)、製鉄業に従事し、後に商業活動が加わります。その後、19 世紀の産業革命を機に、ビスカイアでは重工業分野、一方ギプスコア県では製紙業、工作機械といった軽工業分野が盛んになります。

産業関連会社は、地域内にほとんど一様に定着し、そのため人口も均一に広がりました。ドノスティア-サンセバスティアンとその周辺地域は、かなりの人口があるものの、それでもバスクの県都の中では一番人口が少ない都市です。 

このように地域への分散が行われたことにより、程度の差はあれ、どの地域にもモニュメントのある中心部、産業区、自然空間、幅広いレジャースポットがあります。またこの地は、優れたシェフの地であることも忘れてはなりません。こういったすべてが、魅力に溢れ、経済の多様性がある今日のギプスコアの特徴になっています。

ギプスコア、Gipuzkoa, Guipuzcoa,